イザヤ書 25:8
「主はとこしえに死を滅ぼし、主なる神はすべての顔から涙をぬぐい、その民のはずかしめを全地の上から除かれる。これは主の語られたことである。」
正しい裁きをなさる神は、ただ主に寄り頼み、迫害を受けても信仰を守り通した者の涙を覚えて、永遠のいのちと御国の栄誉を授けてくださいます。主の御前に設けられる救いの祝宴に招かれ喜び祝う日を待ち望み、世と妥協せず最後まで神の義を貫く私たちでありますように。
イザヤ書 25:8
「主はとこしえに死を滅ぼし、主なる神はすべての顔から涙をぬぐい、その民のはずかしめを全地の上から除かれる。これは主の語られたことである。」
正しい裁きをなさる神は、ただ主に寄り頼み、迫害を受けても信仰を守り通した者の涙を覚えて、永遠のいのちと御国の栄誉を授けてくださいます。主の御前に設けられる救いの祝宴に招かれ喜び祝う日を待ち望み、世と妥協せず最後まで神の義を貫く私たちでありますように。
ローマ人への手紙 6:23
「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。」
罪に留まる者は死をもって償わなければなりませんが、キリストの十字架と共に罪に死に復活と共に義に生きる者とされた私たちは永遠のいのちを賜りました。本来、私たちが支払うべき死の代価を一身に受けてくださった主イエスを偲び、感謝する受難週でありますように。
ヨハネによる福音書 12:12-13
『その翌日、祭にきていた大ぜいの群衆は、イエスがエルサレムにこられると聞いて、しゅろの枝を手にとり、迎えに出て行った。そして叫んだ、「ホサナ、主の御名によってきたる者に祝福あれ、イスラエルの王に」。』
自分の願望を叶える王としてイエス様を歓迎した群衆は、期待に添わないと数日後には十字架につけろと叫びました。そんな身勝手な私たちの罪を購うためにエルサレム入城を果たされたイエス様を偲び、まことの救い主として心の玉座にお迎えする棕櫚の聖日でありますように。
ローマ人への手紙 8:38-39
「わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。」
この世の誘惑や迫害、罪の勢力の前に私たちはあまりにも弱く、対抗する術もありませんが、イエス様の愛の御手はそんな私たちをしっかりと握りしめて、決して手放すことなどありません。目前に迫るいかなる困難をも恐れることなく、主の守りを確信して神様の愛の内に留まらせていただく私たちでありますように。
ヘブル人への手紙 11:6
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。」
目の前の現実に頼ることは信仰がなくてもできます。目には見えない存在を信じる信仰にこそまことの価値があります。信仰の目をもって人には見えない神様を仰ぎ求め、未だ見ぬ将来の祝福と永遠のいのちの約束を御言葉を通して確信する私たちでありますように。